イベントの手伝い [農業ボランティア]
新しい農業経営の一つの方法としてお祖父さんが残してくれた農地を貸農園にした峯岸農園では、それまでは関谷農園で行っていたイベントをこの地に移動したことで、最近特に忙しくなりました。もともと貸農園もしているのだけど、その他に、年間契約のグループには月一回、昼食付きでお祖父さんの古民家の利用を提供します。もちろん、宿泊も可能なので、特に夏の間は利用客が続きます。
その中で、私たちがお手伝いすることといえば、いまは、月一回、お昼を提供することです。先週の日曜日もその日だったのですが、私たちシニア世代はお盆休みは家族が集まったり、あるいは自分が故郷へ帰ったりと、なかなか暇がない。そこで、今回はバーベキューを行うことになったと聞きました。お手伝いはいらないと聞けば、ではというわけで、到着したのも11時前。でも、やはり、いろいろ準備があるもので、私と一緒に行った仲間の男性は特に、バーベキューの場所作りからテーブルのセッティング、そして、火起こしを任されてしまって、ちょっとお気の毒にも思いました。だって、たった一人だったのですから。
キッチンでは峯岸さんのお母さんの気持から、サラダやジャガイモ茹でも始まっていたし、バーベキューの野菜カットも全部終了。私は、唯、お皿を運んだ程度かしら?というわけで、この日参加の15名ほどの会員さんが泥と汗にまみれて戻ってこられた時には、用意は全部終了です。買い物から戻った峯岸さんもホッとされたことは間違いはない。
市内でも最古といわれる古木2本が並ぶ庭先では、3台のコンロに肉や野菜、そして、焼きそばのいい香りが漂い始めました。やかんの麦茶には氷が入れられ、会員さんは早速、お昼ご飯。美味しい、おいしいと言っていただくって、こんなにも嬉しいことだとは思いながら、でも、私はさらに、二つも嬉しいことがありました。それは、今回で3度目の顔合わせをした参加者たちが、すっかり私たちを認めてくれたこと。親しく話をしながら、最後には、「また来月会えるわね」って、別れたこと。さらに、来月行われる私たちのイベント、「里山の保全と農業」という講演会にも、とても関心を見せてくれたことです。
参加者をつのりたい気持ちはさておき、ボランティアの存在はこんな場面でこそ、生きてくるのだということを私は感じたのです。ということはね、生産者と消費者を結ぶ役目、それができたら、私は支援活動も究極に入るのではないかと思うのです。どんどん、農家さんの顧客と親しくなり、地域全体の農業の発展のために彼らの経験がいつかきっと広がっていくこともありうると、私は思います。だって、安心・安全な野菜を食べたいと思う彼らが、農業の発展と自然保護に無関心であるはずがないと思うからです。ほんのわずかな力ですが、これからも農家さんの手伝いを楽しみたいと思います。
農業ボランティアの難しさ [農業ボランティア]
私のグループには、すでに農業ボランティアを経験した方、あるいは現在それを継続している方など、メンバー数名にその経験があるのですが、その相手先は皆、別の農家さんです。お父さんを引き継いでご一緒にとか、先代が亡くなられた後お一人でとか、あるいは、お父さんとは別の理念で農作業をされる方など、さまざまな農家さんがおられます。したがって、その年齢もさまざまだし、経験も長短いろいろというわけです。
それらの農家さんの農ボラをする誰もが口にするのは同じことで、農ボラって、難しいよねってこと。それは、一生懸命お手伝いをすればするほど、ふとしたことで、自分の意見が言いたくなったり、あるいは、農家さんの経営について、さらに詳しく知りたくなったり。そこを上手に話題に出せるまでになるなんて、一朝一夕でできることではないというのです。そりゃぁそうですよね。どちらも、みんな一国一城の主であるわけで、ご自分の農業理念も経営方針も、それを信じて日夜努力されているのですから。
でも、ここで日頃ご紹介する関谷農園は、父上の、暮らしを営むに足る農業であるためにと行ってきた理念より以上のものをと、若い後継者が完全に独立して、自然農法を始めて、まだ1年あまり。その彼らを支援する私たちは、一体何をすれば、この若者たちの支援ができるのか、それを知りたい思いに駆られました。だってね、夢がいかに大きくても、日ごろの支援の微々たるものが果たしてどれほど役に立つのか不安になるほどに、支援活動が必要に見えるからなのです。
ある夕方から、私たちは強引に日時を設定し、夕飯前の関谷ジュニアを訪ねました。日頃の仕事場には煙突付きのストーブがたかれ、並べた椅子に座りこんだ私たちですが、関谷ジュニア、最初は少し緊張していたかも?それもそのはず、一番怖い?消費者の集まり、しかも、ご両親以上の熟年男女の集まりだものね。でも、予定の1時間半を過ぎながらも、必死で夢を語るこの若者に、私はやっぱりエールを送りたいと思います。頑張りますから、よろしくお願いしますと・・・、彼は何回言ったことか。やれるだけやってみること、応援するよと、今更ながら心に決めた私でした。それが彼らのやる気につながるのではと思うからです。ボランティアの難しさも、これがあれば少しは解消されないかなぁ。
若い農業ボランティアの登場 [農業ボランティア]
こちらは、あるいはどこにでもある話かもしれないのですが、私としては、非常におどろく話なので、ご紹介させていただきます。いつも何かしらの支援をしたいと思って、このブログも登場させたのだけど、それが意外なうれしい成果を見せてくれたお話です。
というのは、最近通い始めた農家さんと言えば、所沢下冨の関谷農園さん。http://homepage3.nifty.com/sekiyanouen/ そこで初めてであった若いお母さんボランティアさんは、最近、いつもの仕事の量が減ったのでと、気さくに私とのおしゃべりをしながら、あの日は、里芋の注文の多さに必死で里芋分別をしたのです。
あのとき、自己紹介を兼ねて、私は自分の日頃のわずかばかりの仕事の話をしました。それは、秋田の農家さんの依頼で、新規就農やら地域おこしのライティングをしている話なのですが、http://www.noukahp.com/modules/weblinks/ 彼女は、その日も喜んで午後も手伝うというのに、私は午前中でおしまい。次回の約束をして、彼女にもお時間あれば、またご一緒にと一足先に帰路についただけのこと。
さて、次回、仲間と一緒に関谷農園を訪れたら、すぐさま彼女もやってきた。あらまぁ、やっぱり来てくれたのかとうれしいけど、さらにうれしかった事があるのです。その彼女、すぐさま、「もしや、あのブログは?」と、私に質問するではないの。なんと!彼女は地元での農ボラを探し、私のブログからこの関谷農園に行きついたと。へぇぇ~~、そんなことがあるんだとは。書いた本人がびっくり仰天。拙いブログではありますが、少しだけは役に立っているのかなぁ?またまた、頑張って書こうと決めました。ちっぽけなライター稼業のうれしい話でございます。
農業ボランティアの身支度 [農業ボランティア]
本格的な農業の経験がない私は、やっと5回目になって、、これならば完全だと思える身支度が整いました。最初は、長靴を購入するところから始まり、最後は、半分だけ開けたビニールシートの中をのぞいて、膝を付いて浮き出た苗などを押さえつける際に、あった方がぐんと楽だと思える、ビニールシートを用意したところまでです。
それらの身支度、私の場合をご紹介しましょう。どうしてもズボンが汚れるので、水を通さない緩めにカッパのようなズボンをさらに重ねて用意したのです。これがあれば、帰宅時にも何の心配もない。さらに首にはタオルを巻く、帽子は季節に応じて、寒風、雨、日差しをよけるものをかぶる。あるいは、作業までは温かいカッパが必要ですが、作業を始めると、通常は汗ばむものです。私は、2枚の上着を、どちらもすぐ洗えるものにして、着用しておくことで、暑さに応じて、脱ぎ着ができるようにしました。しかもその下には、ポケットがタップリほしいと思いませんか?農家さんで気がえる際に、できるだけ手短かにするには、貴重品などはそのポケットに入れたままにする方がいいのではと。私はだから、夫がくれた釣り用のベストを着用したのです。なんと、ポケットが一番多いのは、このベストだと私は思っているのです。
ところで、一番は作業を行う手袋です。家事掃除用のビニール手袋を使う人もおいでですが、私は最初、指先だけコーティングされた軍手を使いました。サイズのSMLとあるので、指にぴったりしていて、使いやすいと喜んだものですが、これはやはり、指先から泥が入るこんで、終わった後の指先には、泥がたっぷり。帰宅時に、汚れた指先では、途中でのショッピングもままなりません。そこで、次には、薄手の使い捨てビニール手袋をはめてから、このコーティングされた軍手を使いました。農作業とは言え、指先をとても使うものだと知った私ですが、これであれば、大丈夫。かなりの細かい作業も可能です。しかも、何度でも洗濯ができる軍手ですので、結構便利なものだとお勧めです。なお、せっかくの長靴でも、中に泥が入ることもあるのです。されを避けるには、上から履いたカバーになるズボンの裾を外に出しておく。これで、長靴の中も無事になる。ちょっとした注意で、もう、私の身支度は完ぺきかも・・と。
さまざまな用事で外出をする私ですが、その各種の外出用に袋を決め、洗濯が終われば、その袋に入れておく。農業ボランティアのための袋が一つ余分に加わって、さらにややこしい私の生活ですが、身支度が定まるにつれて、それもまた一つのおシャレとなったような、そんな楽しみが増えました。さて、明日は、どの袋?皆さんの袋には、何が入っているのでしょうか?
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農業ボランティアをして初めて知ること [農業ボランティア]
ちょうど2月は比較的他の用事がなかったので、できるだけ、短時間でも農家さんの手伝いをしてみました。週に3回ほど、一回が3時間足らずですから、脚が弱い私でもなんとか、無事に?その作業のあらましから分かったことをお伝えしたいなと思います。
昨年12月に土の中に埋めておいた里芋の掘り出しから注文に応じての分別作業、玉ねぎのビニールシートを半分開けて、発芽した玉ねぎの苗が倒れたり浮き出ているものを植え直す、あるいは、葉ネギの苗が土の上に飛び出ているものを押さえつける…、その他に、風通しを良くするために、半日だけ畝にかけたビニールを開ける作業、 これらは、種をまいたり、植え付けただけでは済まない、農作業の隠れたひと手間と言えるのではないでしょうか?
農業にかかわることのない消費者はもちろん、家庭菜園の経験がある方でも、お店に並んだ野菜を見れば、普通、ここまで理解することはないのではないでしょうか?私の場合でも、自分で種をまき、ニンジンの芽がぎっしり詰まっているのを見れば、「ああ、これではだめだ」と思ったり、間引きをした後の小さなほうれんそうの苗を必死で洗って、捨てるのを忍びない程度の事はあるのだけど、本業の農家さんならではの、大変な作業が常にあることは理解できなかったというわけです。
農業を放棄せざるを得ない農家さんが多いのは、今では誰でも周知のことだと思うけど、実際の彼らの労働力を思えば、あまりにも利益還元がなされないのが、その大きな要因だと思います。それは、実際の農業ボランティアをしてみて、私が実感することであり、さらには、ビニールシートですら、一巻き1万円もすると聞けば、あら、こちらでも一畝で、2千円?これが一体何畝必要だというのだろうと、経費の多さにも驚きです。なんとか、農家経営がうまくいくことを願うばかりです。
雪が降る前に [農業ボランティア]
数日前のことです。午後から雪かもしれないという天気予報だったけど、約束の農家さんへ手伝いに行きました。それまでも何回か、顔を出しているけど、本当に農作業を手伝うのは今回が初めて。私たちに一番希望することはと、だいぶん前に聞いたとき、「ボランティアさんがほしい」と、この農家さん返事は実に明解。さほどに、手が足りない毎日なのです。そんなことから、私たちは自分が行ける日にと言う前提で、農業ボランティアを申し出たのですが、その第1番目が私一人のこの日でした。
到着したのが朝の9時半。すでに畑に出ている彼らの姿を探し、長靴に履き替えた私は、実はドキドキしながら、畑仕事を手伝うことになりました。というのも、私の体は決して、畑仕事ができるほど頑丈ではないからですが、それをちゃんと承知していてくれることから、合計2時間だけの農作業の合間に、若手二人の農家さんは、何度も何度も、私を気遣ってくれました。だからこそ、仕事を選んで、私ができることでと、彼らの心意気はいつもと変わらず、やさしい^^のです。
幸い、朝のうちの小雨もストップして、午前中はなんとか雪も降らずに、思った通りの仕事ができたと、彼らの喜びの声は切実です。結局、4畝を耕し、種をまき、その上からドラム缶を転がして土を固め、さらにまるい枠を取り付けて、ビニールシートをかける。その後、杭を使ってひもを渡し、最後にビニールシートの端っこに土をかぶせて、終了です。雪が降ってしまうと、そのあと1週間はこの作業ができなかったと、彼らは心の底からうれしそうに私に話してくれました。
この地方は、その昔、荒れ地を開墾して畑にしたところですが、それからいままで9世代にもわたって、農業を守り続けているのです。あたり一面、畑だらけのこの土地は、とても豊かな自然を持っているし、若い二人が力を合わせ、春に芽を拭くラディッシュや青梗菜などを植え込むとき、それはさぞや楽しいかと思うけれど、でも、やっぱりちょっとさびしくもあるのではないかしら。だって、この日、この広い大地に農作業に出ていたのは、この二人だけなんだもの。大した手伝いはできなくっても、ちょっとはにぎやかに作業を終えることができたのかも。別れるとき、「雪降る前に終わって、よかったねぇ」って、一緒に喜ぶ相手が増えたんだもの。
ボランティアを集めるサポーター [農業ボランティア]
本日は、すでに9年間もボランティアと続けている代表の方のもと、地元の農家さんの落ち葉掃きに参加しました。そこは、所沢市三冨地区にある、江戸時代から農業を続けているお宅の雑木林です。
といっても、その方の土地に隣接している雑木林も含めて、合わせて2ヘクタールもあったのではないかと思いますが、長年の整備が功を奏して、実に見事な林になっています。絶滅に近い草花が咲き乱れる3月からも楽しみですが、今日は、転げまわるドングリも一緒に熊手で枯れ葉をかき集め、それをネットに来るんで、軽トラックで堆肥場まで運ぶ作業ですが、それぞれが分担を決め、午前と午後の4時間で、ほぼ完ぺきなまでに落ち葉掃きは終わりました。
というのも、本日集合したのは、初心者を含めて総勢50人ですから、それはもう、素晴らしい機動力です。これを実現させたのが、このボランティアのサポーターではないのかと、私は心ひそかに、その必要性を実感です。どこの農家さんでもいまではボランティアが必要なのはわかりますが、若手農家さんではまだそこまでの人数を一堂に介することは難しい。長い間、ボランティアを続けていたからこそとは思うけど、でも、それだけではないのかも。
というのは、この農家さんにそれができたのは、やっぱり地元を思う意識の深さではないでしょうか?農家さんとは農作業に追われて、なかなか、地域全体を見つめることは難しいのが現実でしょうが、それができたのは、ボランティアの人と一緒になって、地元の緑を大事にしたいと願う気持ちがあったからではないのかと。さまざまな団体から参加したボランティアたちをまとめるサポーター役の方々の、実にすばらしい役割分担を見せてもらった一日でした。ボランティアたちがまとまると、すごい力を発揮するものですね。
椎茸栽培の準備と、竹林に入る [農業ボランティア]
眼下には畑と一緒に、農家さんの家も見えるような、
そんな可愛い山の中で、
今日は、シイタケ栽培の準備です。
朝9時に集合と言えば、
私?スクーターで30分は見ておかねばと、
昨晩から持っていくものの準備をし、
早寝~~(笑)。
何しろ、肉体労働ですもの?
持参するものと言えば、
長靴に軍手に手ぬぐい・・・。
さらには、カメラも忘れたくはないなんて、
いつもと全く違う持ち物も、
ずいぶん、慣れてきた私です。
だから、なんとか無事についたのですが、
椎茸栽培が最近、
ご家庭でも人気があるそうで、
わが市でも、
そのほだ木というものを、
お一人10本までと言って、
市の方で、希望者に配るようにもなりました。
さて、
道も不安だったけど、無事に到着。
日頃野菜の宅配をしてくれる青年が、
お祖父さんが残された手つかずの山を、
椎茸栽培に利用することになったとのこと。
支援活動のきっかけとなったこの青年の要望だものと、
農家さん二人を加えて、合計7名が今日の作業に参加です。
じつはねぇ、
支援者たちは、連日のように、
公園の周辺の緑地保全活動も含めて、
さまざまな農家さんのお手伝いに出かけてます。
だから、
私以外は?
このような支援活動はお手のもの。
さて、午前中の2時間半で、
どの程度の作業ができたと思います?
山のてっぺんは木立が切り取られ、
下草も取り除いて、
出入り口も一時ストップ。
ほだ木を重ね合わせて、この場の作業は終了です。
しばらくの間、
切り取ったほだ木は、雨に充てて休ませるそうな。
その後、
足を伸ばして、
近くの竹林に入りました。
竹の子の後の竹やぶ、入りきれないほどのその数に、 伐採も大変。
でも、今回もチェーンソーで切り取った竹を、
さらに2メートル程度に切りました。
これはね、畑地をさらに増やすことになったので、
畝にかけるビニールシートのために、
この竹を細く割いて、使うそうな。
最近の農地法改正で、
遊休農地を貸し出す農家さんも増えてきたというのです。
それもまた楽しみ~^。
そして、畑地が増えることから、
研修生を6月には3名も受け入れるとか。
支援している農家さんは、
次世代を担う若者ばかりです。
私たちが彼らの手伝いができるってこと、
大きな夢を一緒に見るだけではなく、
木立の中で土を踏む、
こんな気持ちのよさを味わわせてくれるのよね。
「子供時代、こんな山であそんだねぇ、
まさか、 いま、山の中で自分たちがこんな作業をしてるなんて」
土の温かさと竹林の妙味?を、
きょうもまた、存分に味わわせてもらったのです。
「落ち葉掃き」の前の作業 [農業ボランティア]
主婦同士の私たち、今日の「横山農園」という場所でのお手伝いに、
やっぱり出かけることにしたんです。
以前、
落ち葉掃きなどという、
いかにも冬のまっ盛りの農家さんのお手伝いに行ったことはあるけど、
今日は、落ち葉掃きを市役所農政課主催で行う前の、
その準備というお手伝いがありました。
なんだか、前回のさつま芋のときも、 芋掘りの前段階のお手伝いだったっけと、
友達と話をしたんですが、
今日は、なんと、 落ち葉を集める際に邪魔となる、
小枝などを拾い集める作業です。
私も興味深々でしたし、
何よりも地面にうずたかく広がっている、
落ち葉の中を歩くときの心地よさと言ったら、
それはもう、
温かさの何物でもないような気分。
最近、運動不足だと思っていたので、
これはちょうどいいチャンスだとも思ったし。
木漏れ日をうれしく思いながら、
しかもね、
焚火がこの場合は許されるのかどうか?
20名近くのボランティアの面々は、
焚火を囲んで、まずは朝のご挨拶。
地主の農家さんは、
つい2か月前に父上が死去され、
残された息子さんだけでは、
この広い雑木林をいかんともしがたいところ。
私たちの集合に心からのお礼の気持ちも伝わります。
それから4年間、
ボランティアの力で、ここまで整理され、
今は、ブナや楢に、桜と松の木立が広がります。
此処に落ちた枯れ葉が集められ、
有機栽培に大いに役立つというのですから、
それはもう、大事な雑木林なのでしょう。
そこで一つの質問をした私、
「松も肥料になるんですか?」と。
そうしたら、
落葉樹の落ち葉だけでは、
畑では軽すぎて風に吹かれて飛んでいく。
それらの落ち葉を松の葉がしっかりつなぎとめるんだって。
しかも数年前に、松くい虫にやられた松林を再度、
さまざまな失敗を乗り越えて、
支援活動の新しい出発 [農業ボランティア]
目的が同じ仲間が新しく加わる形で集う初めての会合。
と言っても、 以前のグループでは4人に減っていたので、新しいグループが再結成されたのです。
ところで、
伝記らしきものを読んでいます。
『パリに死す 評伝・椎名其二』蜷川譲著の本ですが、
彼が渡米したのがほぼ100年前、
セントルイスで農業大学へ入り、農業作業の手伝いをしたけれど、
当時のアメリカは、参戦、参戦という雰囲気の中で、
彼には耐えられない国情だったと書いてある。、
その後、自由を求めて、我慢できずに渡仏して、
片田舎で、農業を手掛けたという。
その理由は?
ものを、自分で食べるものを作ることの、
いかに大事かを知ったからだと。
偶然にも、
ほぼ10年前のあの広大なみどり多い平原を、
ふと思い出しながら、
農業に、今、関わっていることに喜びが隠せなかった私でした。
そこに虚栄心や売名行為、あるいは、自分中心な行動が、
入り込むなんてことがあってはならないし、
真に農業関連でボランティアする人に、 そんな人がいるはずはない。
そして、士族出であった私の大伯父が、
農業にかかわることの大事さを知ったとは!
昔はね、
農業と言えば、士農工商と言われ、 士族の次にあげられるほど、
値打ちある仕事であったけど、
でも、今は、一番大事な産業かも? (笑)。