持ちつ持たれつ・・・ [新しい農業]
これからは、私が知る限りの話、あるいは、単に想像するだけの部分もあるかと思います。でも、よくあることですが、支援団体と仕事をせねばならない農家さんとの間には、ともすれば、思いの行き違いもあるものです。だからこそ、私はここである程度軌道に乗り出した「野菜屋コロット」のこれまでをちょっと思い出してみようかと思いました。その始まりは、暗かったなぁ。前回書かせていただいたように、地元の農家さんたちがなんらつながりを持たない、バラバラであることを知り、これはもう、農業の活性化なんて無理ではないかと、がっかりしたことを思い出す。
でも、峯岸青年は違いました。自分のお祖父さんの農業での暮らしを幼いころに見た彼は、今や、その大変な農家さんを陰で支える仕事がしたいと。当時、会社単位で、そのようなことを始める兆しはありましたが、彼はまず、農家さんにボランティアに行き、その後研修生となり、その後販売を受け持ち、販路を広げながら、今日を迎えたと言っていいでしょう。と同時に、支援する私たちの願い、地元のおいしい野菜を安心して食べたいという思いをちゃんと受け止めようとしてくれました。つまりは、「野菜屋コロット」は、地元の農家さんの中から私たちが推薦できる農家さんを回り、それぞれが自慢とする野菜を自分で買い上げる形で、自分の店で売ることにしたのです。農家同士をつなぐ役目をしながら、自分で集荷し、自費で購入し、自分でお店を切り盛りするまでになりました。
でも、そこに行くまでに、さて支援団体の私たちは、さまざまな討論をしたことを思い出します。つまりは、特定の農家さんの稼業を支援することへの抵抗があったのか、あるいは、まだできあがって間もない私たちのサークル活動が、突如現実化してきた戸惑いがあったのか、あるいは単に皆さんが忙しすぎたのか、それは私にはわからない。でも、ただ一つ言えることは、私たちは地元野菜をおいしく安全にいただきたく、その趣旨に沿う形で、「野菜屋コロット」ができたのです。それもまた、非常に難しいこの所沢で、私たちが願う農家同士の協働という形をとることにして。
私たちはあくまでも支援団体。だから、いつも頭を下げてくれるのは、実は、野菜屋コロットの峯岸さんです。が、でもね、私はいつも思います。お互い、持ちつ持たれつだよ、と。大きく言えば、若い世代が地元の活性化に役立つことをしてくれてるのだったら、それを感謝するのは当然の私たちシニア世代。中くらいに云えば?自分たちの夢に少しでも近づく活動をしてくれる「野菜屋コロット」なのだとしたら、それは、私たちの活動に大きな弾みが付くはずです。そして、最後に、小さく言うなら、私たちが目を光らせるおいしい安全野菜を孫子の代までいただけるなら、感謝の一言ではないだろうか。支援活動って無理にやることではありません。でも、楽しんでやりたいものだと、心の底から思います。さて、次は、峯岸青年がこの自治会での販売に歓迎されるわけをご紹介しましょう。
「野菜屋コロット」オープン! [新しい農業]
早や丸2か月が過ぎてしまいました。お詫びしたい気持ちと同時に、この間の、新しい農業を模索してきた農業後継者たちの活躍、その発展ぶりを、この執筆者私メは、その喜びとともにお伝えせねばなりません。このブログをお読みいただいているかもしれない、今後の日本農業に期待を抱いてくださる皆さんにはご紹介してきましたが、ここでもう一度我が故郷埼玉県所沢市の農業の特徴をお話しするところから、今日は、この2カ月をまとめようと思います。
東京都をすぐ道を隔てている私たちの町は、おのずから都会均衡型の農業として、現在は兼業農家さんが多く、それでいながら、江戸時代からの誇りとする循環型農業を継承する地として、それを守り続けようとする、その二つの形の農家さんが存在すると言っても過言ではないでしょう。後継者不足から農地を手放す現象は相も変わらず、あるいは、耕作放棄地もあちこちに見えるのも現実。でも、その半面で、循環型農業をしてきた先祖を守ろうとして、さらに一歩進んで、無農薬、無肥料、あるいは、有機栽培へと進む農家さんも見られる。あるいは、その販売方法も、JAを頼ることなく、自分で東京へ進出する農家さんもおられます。
このように、私の地元では、特に農家さんが協働で何かを行うことがほとんど見られず、あるいは、先代の時代にそれに挑戦して実現することなく、悲壮感だけが残った農家さんもおられます。しかしながら、時は流れ、今や地産地消が叫ばれ、それがひいては、地元の緑を守り、地球を守る大きな運動となっているのは皆さんご存じのことです。そこに私たちは、地元の教育委員会が主催していたシニア学習の一環として、「地元の農業の活性化」考え、今や、私たちの農家さんとの関わりは、消すことができないほど強固なものとなってきました。私たちが願う地元農業の活性化が、若い農業後継者たちに喜ばれないはずはなかったのです。
さて、その農業後継者の中の一人が、去年の年末より地元の一つ、高齢者が多く、近所にお店が少ないマンション街に小さな八百屋をオープンさせました。その青年とは、れまでにも何度もご紹介させていただいた峯岸青年、「古民家COROT」のオーナーです。一番初めは、所沢の北方、三冨地区で9代目と言う関谷農園の若主人のもとで農業の現状などなどを学び、1年半後、自分は「古民家付き貸農園」をはじめながら、小さいながらも法人化を成し遂げました。それが今や、地元に喜ばれる「野菜屋コロット」としてお店を開くように成長したのです。さて、その詳しいご報告は、引き続きご報告させていただき、本日はここまで。「野菜屋コロット」の活躍にご期待ください。あら、私たち支援団体の働きぶりも(笑)。
いよいよ法人化の若手農家たち [新しい農業]
思いがけず早い話が舞い込みました。私たち地元の農業の活性化には、農家同士が協力する形で、せめても営利を得ることができなければ、若い農業後継者たちが農業に戻ってくれるはずがないと思っていたのです。でもね、なかなか農家同士をまとめることは難しいと知り、今では日頃の農作業は私たちシニア世代には体力的にも大変なこともあって、たまのイベントなどの協力をする程度だったある日、若い後継者から、新たな決意を聞くことができました。
私たちが支援している農家といえば、みなさんにもすでにご紹介してある9代目の後継者。安全で安心な自然農法の難しさに直面しながらも、すでに4年目を迎えて、ネット販売はかなり地に足が付いてきたとも言えるでしょう。この農家さんと協働の形で、すでに1年以上、さまざまな形の農業経営を模索していたのが、お祖父さんの農地を再利用している、やはり若手の農家さんがおりました。この人は同じ所沢市内の、農地は残されているが、1年前までは一般企業で働いていた男性です。前者が関谷農園、後者が峯岸農園です。
さまざまな農家さんと知り合いになって、私が感じることは、農家さんは外の世界、企業の経営のノウハウなどにはさほどの経験がないことから、農作業には詳しいけど、経営のノウハウにも現実の労働条件などにも疎くなるのですよね。その点、峯岸農園のこの青年は社会経験がある分、どうしても理不尽なまでの現在の農業環境を変えたくなるのは当然のことです。こうして、彼は一大決心をしたのです。
まずは、この二人の取り組みをざっとご紹介しましょう。野菜などの収穫までを受け持つ関谷農園と、そこで以前から行われていたさまざまなイベント、たとえば、1年契約の大豆ファームやお子様に畑の体験をしてもらうイベントなどでは、毎月1回、今度は、峯岸農園の、これまでお祖父さんが使っておられた農地を利用することに。これによって、まずは、関谷農園では耕作面積が増え、ジャガイモなどの収穫が増えていくだろうと予想されます。そして、もちろん、峯岸農園では、耕作放棄されていた農地が開拓され、あるいは、シイタケ栽培なども可能になってきたのです。
さらに、このとき、峯岸農園では、お祖父さんが残してくれた古民家の利用ということで、まずは、この100年前の古民家の整備として、備品の補充、電気関連の改修と交換、五右衛門風呂とシャワーの刷新、キッチンの鍋・釜からお皿、あるいはバーベキューセットまで整え、キッチンの衛生面など、あちこちの検査にも合格。そして、先日、最後の締めくくりとして、資本金を振り込んできたとのことでした。明日は、栃木県まで芝生を買いに行くのだそうな。そして、今日は、バーベキューをする場所の雑草を取っていると聞きました。まだ始まったばかりの新しい農業の形です。なんとか、暑さに負けずに、若い力は十分発揮してほしいと思います。
若い力 [新しい農業]
今日は、いつもの農家さんでのハウス作りにはもってこいの日。
でも、
私は、今日は若いお手伝いがたくさんいると聞いて、
では~~、
せめても、メンバーにご報告でもできればいいと、
いつもより1時間も遅く到着です。
しかも、ついでにと、 夫が車に乗せてくれたので、
到着したら、
男女合わせて6名ほどの方が集まって、
すでにハウスの形を作り上げたかのように、
地面の上には、まるいドームが出来上がり。
あらぁ、
若い人の力って、
だから、頼もしいのだと思った私、
「今日は見学させてくださいね」と、のんきに構えてしまったのです。
そうそう、 せめて、写真だけでも写そうかと。
ところが、
一つの作業に、しかも、それを流れるように行うには、
6人だけでは足りないって?
あら?足りないの?
じゃぁあ、待ってて、長靴はいてきますから~^って。
飛び出す私には、我ながら驚き。
だって、一緒に動けるって、うれしいもの。
何?
この脚立?危ない~^って、
重い私が反対側に乗ってるもの。
それでもね、朝早くから始めたこの作業も、
何やらやたらと難しく、
やり直す場面も多々・・あるわけです。
だから、時には、こちらの棟梁である父上が、
心配そうに見に来られ、
でも、あんまり口出しするのはやめるぞうって~~(笑)。
そうなのよ、今回は、
全員、ハウス作りが初めてなのだ。
専門家に頼むと、
この大きさでも、立ててもらうだけでも10万円はかかると。
あと、二つはハウスがほしい彼らには、
そんな費用はないわけで・・、
でも、誰もが、今日のところはいい勉強だといっしょうけんめいなのだから。
そして、私は、この若い彼らの頑張りこそが、次につながるものだと、思うのです。
支柱がゆがみなく定まった時、皆が拍手しちゃったのもわかるなぁ。
一足先に帰らせてもらった私ですが、
近いうちに完成させて、
トマトを植えたいのだと、農家の息子がいいました。
うれしいものです、若い人の頑張りを見るのってね。
完成の暁には、
後継者を見守る父上 [新しい農業]
こちらは、所沢市の関谷農園でのお話です。若い後継者が新しい農業を目指し、江戸時代から続いている三冨地区での農業を手広く行っている父上とはどうしても栽培方法が異なることから、3年前からこの農家さんでは、息子へ土地を分け与え、経済も全く別に独立をしていると聞きました。その関谷ジュニアと呼ばれる若い農業後継者を支援しようと、私たち、所沢市の市民大学卒業の面々は、時にはここへボランティアに行く。そして、息子の頑張りを見守る親御さんの姿に出くわすのです。
今日は朝9時過ぎ、いつもと違う静かな農家先ではどこにも農家さん親子の姿がありません。そこへ出てきたお母さんに、こちらも思わず尋ねてみたのですが、「さぁ~?聞いていないのよね」とのお返事。さもありなん、30歳も過ぎて、自分の考えで農業にかかわる息子さんだもの、今日の予定など、母上に伝えるはずはないでしょう。その後、携帯電話が通じて、今日は少し離れた竹やぶで、竹を伐採し、その後、話し合いをしていると。つまりその相手もボランティアではあるけれど、関谷ジュニアと二人、新しい農業経営のノウハウで時間を惜しんで話合いがなされたのかも。
誰もいない畑で、一人での仕事を初めてだった私ですが、なんとできるじゃないの。今日は、ソラマメなどのビニールシートを半分だけ開けて、空気を入れ、その後、雑草だけを注意深くとりました。こちらでのお手伝いは早10回ぐらいはしたかなぁ。その間、何度か、お父さんと研修生たちが一緒に働く姿をみてきたけど、ふとした時にお父さんが私たちに声をかけてくれました。「何を植えたんだ?」と言いながらね。息子の頑張りを陰で援助したくなるのが親の常。声をかけてくれるのがいつも当の息子がいない時だというのもうなづけます。
私のお手伝いはほとんどお昼で終わるのだけど、さて先程のお母さん、母屋から出て来て、戻ってきた息子に花束を渡し、さらに息子はお父さんから譲り受けたウドと一緒に、またまた私に差し出します。息子の新しい農業への挑戦に、お父さんのウドとお母さんの花が息子を応援しているのだとわかります。時代が変わりゆく中ではあるけれど、農業の分野でも父子の温かい交流がよい結果を生むことを、私も楽しみにしたいなと思わないではいられないのでした。
実りある話し合いができました [新しい農業]
同じ市内でも結構遠いところなので、
途中で待ち合わせて、
仲間の車に乗せてもらう。
いつも申し訳ないと思うけど、
これもまた、仲間だから許されることだと思います。
本日は、
午前中は農業ボランティアをすることにしたけど、
でないと、
忙しい農家さんには申し訳ないほど、
私たちって、誰もが、
ひそかな夢を農業に抱いているからかもしれません。
喜んで迎えてくれのは、
農業後継者である関谷農園の青年http://homepage3.nifty.com/sekiyanouen/と、
さらにもう一人、
彼を陰から支える農業アドバイザー的な役目をする、
農業をお祖父さんの代でやめてしまった、
その三代目の青年です。
どちらも、
江戸時代から続くこの地の農業を無くしたくない思いが強い。
その彼らの意気込みを、
何らかの形で支えながら、
私たちは地元の農業の活性化を目標に、
市民活動で知り合った仲間です。
と、ここまでは何度もお話をさせていただきましたが、
なんせ、古くからのメンバーは総勢4人、
新しいメンバーを加えて、
新しい定例会が行われる前に、
自分たちの活動目標と実践的な動きを、
定めておきたいと思ったのでした。
不思議なもので、
農家さんと言うのは世代が代わって行く途中である事も、
その原因の一つでしょうが、
隣近所の協力体制が乏しいと感じる私たちは、
そのあたりの思いを、
この若手農家さんにも聞きたいと思っていました。
午前中の作業は、
大根の収穫とミニ白菜やカリフラワーの畑の整理。
それが終わって、農家の庭先で、
オクラとお豆の種を摘み取る作業。
ボランティアを使うのは、意外と大変だと聞きますが、
確かに!
農作業の流れの中で今必要なことは何なのか、
それすら把握できない私たちでした。
でも、
手持ちの弁当に、
お母さんが差し入れしてくれたご馳走をいただきながら、
その話し合いのなんと、実りがあったことか。
その後、
日頃のセンターの場を借りて、
本日の反省会。
なんだか~~、
見えてきたねぇ、私たちができること、
それをすれば、農家さんが喜ぶこと、
それについて、新しいメンバーに、 協力を求めることなどなど、
とても、いい話し合いだったと、
みんなが満足したのです。
それはたぶん、今日は、農家さんの本音が聞かれたからだと思います。
これからが本番の農業支援ができるのかも。
農家さんと消費者が力を合わせていれば、
いつかは、きっと夢がかなうかと?
だって、私たち、これまでに、かなり多くの農家さんを知りました。
農業委員の皆さんとJAの方との懇談会 [新しい農業]
埼玉県所沢市と言えば、主産業は農業だと言われながら、
その実態には大きな問題があると言える、
そんなことが次第に分かってきた私たちは、
さて、実際に農業をされている農業委員さんとかJAでは、
どのような展望をお持ちなのか、
そんなことをしりたくなりました。
ちょうど自分たちの研究結果が出ているので、
この際、農業委員会にお願いをして懇談会を開いてもらったのです。
市役所ロビーに10時20分集合。
当方は日頃グループには入れないほど忙しい仲間も加わって、
合計9名の参加です。
ゼミの研究結果と今後のビジョンを大きく掲げた私たちは、
まずは代表の人からその際のレジュメをいただき、
目を通しておりました。
と、そこへ、
今回仲介をしてくれていた農業委員会の方がお越しになり、
事前の注意を話し始めたのです。
これにはびっくりの私たちでしたが、
ともかく、行政側からは参加者15名程度、時間が少ないので、
行政に対する質問より、
実際に農業に携わる農業委員さんへの質問をメインにというわけです。
双方の簡単な自己紹介の後、私たちの大きな夢、
大型直販所建設の夢が語り終えました時、
私は実はホッと安どをしたのです。
というのも、ともすると現実を知らない私たちの、
机上の空論にならないように、
あるいは、素人の私たちが知り得たことに対して、
どこか間違いはないか、それらについて、代表が実に巧みに、
相手の方々へその思いを伝えてくれたからでした。
私たちは消費者という立場で、地元の農業の活性化を願い、
それが遠き将来の地元の住民を守ることになるかも知れないとしても、
そこに、実際の農家さんや行政の力があってこそ、
現実的にさらに強力に動けると、
私は思うからです。
行政の方々の協力なくして、
こんな夢が実現できるとは思えないからですが、
その後の彼らからの発言は、事実、とても私たちにはためになる、
しかもうれしい賛同も得られたものだったと言えると思います。
長い間、市内のJAで働いておられた方からは、以前と違って、
今は、野菜といえども、
face to faceが求められる時代だという話があり、
農業委員のお一人は、私たちがあえて、ビジョンとして掲げた、
商工農が一体となった「アグリパーク」への夢を、
実はこれが一番地元農業の活性化にいいのではと賛同を得たのです。
あるいは、我が市には、江戸時代に始まった、
三冨地区の開墾地が今でも残っていることから、
これをいかにも大事にしたいという意見も出て来て、
どれもが、私たちにはうれしい方向性を見せたと思います。
時間を延長してしまって、関係各位にはとても恐縮したのですが、
特に農家さんの収入を安定させようと思って集まる私たちであり、
なおかつ、安心・安全な野菜を安く食べることができる、
そんな地元になることを願って始めた活動です。
いつの日か、
わが子、わが孫たちもこの地を自慢する大人になってほしいと願い、
動いているとも言えるのです。
というのも、消費者として参加した私たちは、
よそから転居してこの地でほぼ30年という、
そんな仲間が多かったのですが、
そろそろ、次世代に、
此処が故郷だと言える土地を作ろうと思う時が来たと、
先日、私は高橋玄洋さんの講演会で、そんな展望を聞きました。
高橋玄洋さんとは、
この地でも数少ない誇れる有名人ではないでしょうか?
故郷では、自分の食べる野菜を自分たちで供給する、
そんなことを夢にしたいと思います。
さらに大きな団体に参加 [新しい農業]
ところざわ倶楽部という団体に参加することになったのは、若手農家さんの熱意があればこそだと、私は言いたいのです。この日、私たちが今後も何らかの形で応援しようと決めた若手農業マネージャーと早9代目という江戸時代からの農業を続けている農家さんが、私たちのゼミの勉強成果を、ぜひとも見たいと言ってくれたのがきっかけでした。この日、その他に、元全農の方や「日本の農業」というタイトルで私たちと分かれて研究をした仲間と、さらには、先輩方の「日本の農業グループ」の人達、そして、常にお客様にっ自信が持てる製品をと、お茶栽培から生産、販売まで行っておられるお茶屋さんが参加。したがって、予想以上の参加者で、合計17名となりました。
この日の準備は、私たち、「所沢の農業」を専攻したものの中から今後も何かしらということを希望した4名だったのですが、特に何よりも、廃校となった学校が、私たちのために「生涯学習推進センター」となって、そこに今回、市民大学を卒業した私たちで、今後も使うであろうプロジェクターを一台寄付してあった、このプロジェクターをさっそく、私たちが使うことができたことです。
何事も、事実を把握し、それを発表するときに、その結果が今後にどのようにつなげていけるか、それがとても大事なことだと、あの時、講師の先生の感想をお聞きした私たちでしたが、これこそ、私たちには十分は評価でした。何しろ、こうして、私たちは、ゼミ終了後も、知り合った農家さんたちとの交流の中で、次にすることが見えてくるからです。つまり~~、あそこに参加してこられた皆さんからの第1の感想は、若手農家さんたちのあの「やる気」がとてもうれしかったということ。そして、参加された農家さんたちからは「勇気をいただきました」という言葉だったからです。
その後、忙しい農家さんたちが帰られ、私たちのフリートークが始まったのですが、さまざまな意見の中で、男性陣に一番関心があるのは、行政への働き掛けであり、数少ない女性陣からは、さらに細部にわたる農家さんへの支援活動が飛び出ます。その両方ともが合致してこそ、本当に農業の活性化を満たすことができるのかもしれません。市民大学を卒業した私たちは、今後どのような形で活動をするか、それを具体的に定めることになったのですが、先輩方のグループからは、「これまで農業全般の研究をしてきたのだけれども、今後はぜひともご一緒に活動をしてほしい」との声をもらった私たちでした。よかったぁ、新しい活動は、やはり地元の教育委員会が主催する「ところざわ倶楽部」という活動の一つになります。これでこそ
行政を大いに活用する場も増え、農家さんとの交わりもさらに強固になると思うからです。
農業研修生と若手後継者たち [新しい農業]
そんな若手の4Hクラブ代表のお宅に、
私たちが支援している、これからの地元農業を活性化させうよと働く、
我らがホープを案内したのです。
同行してくれたのはゼミの一人。
気持ちよくお迎えいただいたのですが、
何よりも、ご家族4人、
ご両親とおばあさんまで顔を出して下さって、
お茶だ、漬物だと、
さし出してくれるのが、いつもながらうれしい。
そこへ、
現在研修生の二人も呼んで、私たちの話は実に実りがあった気がする。
と言うのも、
この研修生たちは、
これからこの地で農地を借り、
どこまで農業ができるか、
それはとても不安だと言う話。
それに対して、
現場のさまざまな農業政策の中で、
家族で力を合わせて農業をしている後継者さん、
あれは良し、これは困ったなどなど、
私たちが知らない話を数多く聞くことができたからです。
そこで、我らがホープ、
その活動の中でも最近の宅配について聞いてみたら、
これは、とてもいいと思うと、
この農業後継者が身を乗り出しました。
私が望むところと言えば、
さまざまな農家さんが、
こちらではお茶を、あちらからは果樹をと、
さまざまな農家さんが共同で宅配ができたら、
それは消費者にもとてもありがたいと思っていたから。
ただし、
実践する場合に、保存がきくものはいいけれど・・と、
そんな問題点も現実には起きてくるわけです。
と同時に、
意外なことに、
それぞれの農家さんにはそれぞれの理念があり、
たとえば、
こちらが支援している農家さんでは、
無農薬、無肥料の野菜作りに徹しているが、、
それは本来、さまざまな面で無理ではないかと。
でも~^、
あの私が申し込んだ宅配が、
無肥料、無農薬だからこそ、あの価格でできるのだと言われると、
実際、できているのは確かなのだ。
終わってから、3人で食事をし、
これからは、自分たちの野菜作りをもっと化学的に検証するのだと、
そんな話をこのホープさんから聞きました。
なんとか、
安くてしかも安心な、
そしてもちろん、新鮮な野菜が地元で広がるように、
そんな実証ができますように。
またまた、我らがホープへの期待増大の一日でありました。
「所沢の農業の活性化を目指して」と言うゼミ [新しい農業]
そもそも、市民大学で私たちはちょうど、国の政権が代わる気配が見えだしたころから、「所沢の農業」についてのゼミを始めました。この地の農業は、都市環境型農業とも呼ばれるところですので、米作りはありませんが、やはり多くの問題をはらんでいたのです。でもその半面、農業経営にはありがたい消費地が身近にあることや後継者がかなり多いこと、あるいは、兼業農家で家計を補うことも可能な地域だと言えることもあります。
そんな私たちの故郷でも、やはり、地産地消を望み、顔見知りからの野菜をいただくことができれば、こんなにうれしいことはないでしょう。そんな思いで、私たちのゼミは終わりをまとめたのです。そして、その根底に、現に新しい農業を願う少なからずの若手農家さんがいたことが大きな力となっているのは確かです。
今は、農業も個人経営の時代ではないと言えるのかもしれませんが、私たちのゼミのまとめは、「アグリパーク」の実現です。やはり、地元の農家さんが協力することで、大きな販売組織が出来上がればいいという思いがあるからですが、そこに、商業、工業も加わる形で、この地の活性化が図れるとしたら、農家さんにもどんなにかうれしいことではないでしょうか?
農業と言うのは土地に根をおろしてこそ行える仕事ですが、やはり、どの農家さんも地元とのつながりは深いものです。その関係を上手に生かすことができるために、私たちには何ができるのだろうか。私は、ゼミのまとめをしながら、そんなことを思いました。農家さんを支えることができるのは、行政はもちろんですが、周囲に住む、私たち消費者ではないかと思うのです。消費者が後押しをすることが求められる時代になったのだと私は思います。なぜなら、今はその過渡期だからですよね。私たちのゼミのまとめもいつか、アップさせていただければと思っています。