持ちつ持たれつ・・・ [新しい農業]

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これからは、私が知る限りの話、あるいは、単に想像するだけの部分もあるかと思います。でも、よくあることですが、支援団体と仕事をせねばならない農家さんとの間には、ともすれば、思いの行き違いもあるものです。だからこそ、私はここである程度軌道に乗り出した「野菜屋コロット」のこれまでをちょっと思い出してみようかと思いました。その始まりは、暗かったなぁ。前回書かせていただいたように、地元の農家さんたちがなんらつながりを持たない、バラバラであることを知り、これはもう、農業の活性化なんて無理ではないかと、がっかりしたことを思い出す。

でも、峯岸青年は違いました。自分のお祖父さんの農業での暮らしを幼いころに見た彼は、今や、その大変な農家さんを陰で支える仕事がしたいと。当時、会社単位で、そのようなことを始める兆しはありましたが、彼はまず、農家さんにボランティアに行き、その後研修生となり、その後販売を受け持ち、販路を広げながら、今日を迎えたと言っていいでしょう。と同時に、支援する私たちの願い、地元のおいしい野菜を安心して食べたいという思いをちゃんと受け止めようとしてくれました。つまりは、「野菜屋コロット」は、地元の農家さんの中から私たちが推薦できる農家さんを回り、それぞれが自慢とする野菜を自分で買い上げる形で、自分の店で売ることにしたのです。農家同士をつなぐ役目をしながら、自分で集荷し、自費で購入し、自分でお店を切り盛りするまでになりました。

でも、そこに行くまでに、さて支援団体の私たちは、さまざまな討論をしたことを思い出します。つまりは、特定の農家さんの稼業を支援することへの抵抗があったのか、あるいは、まだできあがって間もない私たちのサークル活動が、突如現実化してきた戸惑いがあったのか、あるいは単に皆さんが忙しすぎたのか、それは私にはわからない。でも、ただ一つ言えることは、私たちは地元野菜をおいしく安全にいただきたく、その趣旨に沿う形で、「野菜屋コロット」ができたのです。それもまた、非常に難しいこの所沢で、私たちが願う農家同士の協働という形をとることにして。

私たちはあくまでも支援団体。だから、いつも頭を下げてくれるのは、実は、野菜屋コロットの峯岸さんです。が、でもね、私はいつも思います。お互い、持ちつ持たれつだよ、と。大きく言えば、若い世代が地元の活性化に役立つことをしてくれてるのだったら、それを感謝するのは当然の私たちシニア世代。中くらいに云えば?自分たちの夢に少しでも近づく活動をしてくれる「野菜屋コロット」なのだとしたら、それは、私たちの活動に大きな弾みが付くはずです。そして、最後に、小さく言うなら、私たちが目を光らせるおいしい安全野菜を孫子の代までいただけるなら、感謝の一言ではないだろうか。支援活動って無理にやることではありません。でも、楽しんでやりたいものだと、心の底から思います。さて、次は、峯岸青年がこの自治会での販売に歓迎されるわけをご紹介しましょう。


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